サポートをしてくださるアーティスト
ドリアインターナショナルは日本芸術教育協会の為のマネージメント機関です。
私達は学生がひとり立ちするまで、指導してくださるアーティスト達と共にサポートさせて頂いております。
ミッシャ・ダチッチ
Misha Dacic
ピアノ
ミッシャ・ダチッチはユーゴスラビアに生まれてすぐ、ティトーの死去により国は社会主義国家から内乱へと突入。そのため幼少より天才として注目されながら国外に出ることができなかった。11歳で Mladen Jagusht の指揮、ユーゴスラヴィア オーケストラとハイドン コンチェルトニ長調でデビュー。ダチッチは1988,89 ,91年にユーゴスラビアで3つのピアノコンクールに優勝、少年の演奏を聴いたカナダのピアニスト・名教授として知られる Alan Frase をはじめ多くの評論家により ‘ホロヴィッツの再来’‘ホロヴィッツを彷彿’」と評される。92年第一回 ノヴィ サダ 国際ピアノコンクール優勝、イタリアシルヴィオ・ベンガリピアノコンクールに優勝、93、94年青少年ユーゴスラヴィアピアノコンクール優勝するなど数々のコ クールに優勝した後、ダチッチ はコンクールの審査員で、ホロヴィッツのただ一人のライバルといわれたラザール・ベルマンに認められイタリアに留学。 ベルマンは6年間の長きにわたって最晩年の愛弟子としてダチッチを手放すことはなかった。ダチッチはこの間毎週2回 ベルマンの自宅に招かれ演奏した。ベルマン氏の死後アメリカのマイアイピアノ音楽祭でデビューを果たす。その音楽祭でマルタ・アルゲリッチに出会いルガーノ音楽祭に招待される。これを機に、マイアミに渡りマイアミ大学で研修を積みながら国内外の音楽祭、オーケストラと演奏活動をおこなっている。この間に名ヴァイオリニスト イダ・ヘンデルにに認められアメリカやヨーロッパ、イスラエル、日本などで共演。 又ソリストとしてアメリカ、ドイツ、チェコ、イタリア、ルーマニア、イギリス、フランス、 トルコ、ブラジル、パナマ、アルゼンチン、スペインで公演を行う。
パーヴェル・ギリロフ
Pavel Gililov
ピアノ
旧ソ連出身。ギリロフは幼い頃から神童ぶりを発揮し、8歳でオーケストラと共演を果たす。
彼の演奏を聴いたドミトリー・カバレフスキーは驚き直ぐにレニングラード・コンセルヴァトワールに入学させた。
1972年全ソビエト・ピアノコンクールに優勝する。ギリロフの才能は、新聞紙上でポリーニ、アルゲリッチ以来のピアニストといわしめた。
その後、ヴィオッティ国際ピアノコンクールに優勝。ソリストとして、また世界的に著名なオーケストラとの共演は聴衆に熱狂的な支持を受けている。今シーズンもヨーロッパの一流オーケストラと共演するほか、その模様が国営テレビで放映されている。
現在は、ソロとしての活動の傍ら、チェロのミシャ・マイスキーと共演を重ね、1975年よりベルリンピアノカルテットのメンバーとしても活躍している。教育活動にも熱心でケルン音楽大学教授として後進の指導にも力を傾ぎ、2005年秋からドイツのボンで開催されるベートーヴェン・コンクールの審査委員長も務める。ザルツブルクモーツァルトテウム大学のピアノ教授として後進の指導。2019年はメラーノ音楽祭に参加。またサンクトペテルブルクのマリンスキー劇場においてエルプフィルハーモニーと共演するなどオーケストラとの共演も多い。
ヘンリー・シーグフリードソン
Henri Sigfridsson
ピアノ
1974年フィンランド トゥルクに生まれる。
9歳から地元の音楽院に通い1989年からシベリウス音楽院で学ぶ。
1995年からはケルン音楽大学にてパーヴェル・ギリロフ氏に師事し、
1995年から1997年まではフランツ・リスト音楽院にてラザール・ベルマン氏にも師事する。
1994年フランツ・リスト国際ピアノコンクール優勝。
1995年ノルディックソリストコンクール優勝。
1996年フィンランド文化功労賞受賞。
2005年ボン ベートーヴェン国際コンクール優勝
ウラディミール・アシュケナージ指揮、チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団との共演をはじめ、
世界各地の様々なオーケストラと共演している。
伊藤京子
Ito Kyoko
ピアノ
福岡県出身。東京藝術大学付属高等学校から東京芸術大学、フランクフルト音楽大学卒業。
第43回日本音楽コンクール第3位入賞。
10年間の渡欧中、77年ブゾーニ国際コンクール第3位入賞。
レオナード・ホカンソン、ペルルミューテル、マルタ・アルゲリッチ、パウル・バドゥラ=スコダに師事。ショパン協会例会、毎日ゾリステン他、ギフテッド・アーティストシリーズ(音楽之友社、新日鐵主催)では、第1回出演者に選ばれた。
N響(サバリッシュ指揮)、新日本フィル、日本フィル、東京都交響楽団、東京交響楽団、名フィル等との共演をはじめ、1992年故ジュゼッペ・シノーポリ氏によるオーディションに合格し、ソリストとしてシノーポリ指揮・ロンドンフィルハーモニア管弦楽団と共演。
現在、演奏活動の傍ら別府アルゲリッチ音楽祭、音楽監督補佐兼総合プロデューサーとして活動すると共に、1999年~福岡県春日市ふれあい文化センター芸術文化事業コーディネーター、2001年~金刀比羅宮音楽顧問等、音楽プロデュース面でも活躍しており、日本の音楽界に新しい方向を示し注目を浴びている。
教育面でも長年全日本学生音楽コンクール審査員を務めた後、春日市ジュニア音楽コンクールを創設し、川口市ピアノコンクールでは審査委員長を務めている。1995年に北九州市民文化賞、国際ソロプチミスト「女性栄誉賞」、2002年第12回新日鐵音楽賞「特別賞」及び、大分合同新聞文化賞受賞。
トーマス・クリスチャン
Thomas Christian
ヴァイオリン
オーストリア生まれ。7歳よりヴァイオリンを始め、1年後には演奏会出演。11歳でオーストリアのヴァイオリンコンクール優勝 。テオドール・パシュクス(ニューヨーク)とヤーシャ・ハイフェッツ(ロスアンゼルス)に師事。19歳の時にニューヨークのカー ネギーホールでパガニーニの作品演奏でデビュー。これを契機にヴァイオリニストとして本格的な演奏活動に入り、ヨーロッパ 全土、アメリカ、アジアで活躍。ソリストとしてBSOベルリン、バンベルガー交響楽団、ワイマール・シュターツカペレ、読売交 響楽団、大阪フィルハーモニーなど数多くのオーケストラと共演。また、ザルツブルグ音楽祭、ウィーン芸術祭、プラハの春、 ドレスデン・フェスティバル、ボン・ベートーヴェン祭、シュレーヴィック・ホルシュタイン音楽祭、リンツ・ブルックナー祭 、ブレーゲンツ・フェスティバル、シュタイアの秋、イースター・クラング・ウィーン等の音楽祭に出演。1986年からトーマス ・クリスティアン・アンサンブル(元ウィーン弦楽五重奏団)の主宰で、1986年来ヨーロッパを始め、南アフリカや日本などで演 奏活動をしている。西ドイツ放送局、バイエルン放送局等でのテレビ、ラジオ放送を始めSony Classical、カメラータ東京等よ りCDが発売されその活躍は世界をまたにかけ、多方面にわたって行われている。
上オーストリア州ティリスブルグ城室内音楽祭の音楽監督を12年間、シュタイアーマルク州シュラードミング夏の音楽祭音楽監 督を13年間、2001年より上オーストリア州パイヤバッハの音楽祭の監督を務めている。現在、ウィーン市立コンセルヴァトリウ ム音楽院教授及び1999年よりドイツ国立デトモルド音楽大学の教授。
[使用楽器:ペトルス・グアネリウス、1725年製。ベルギー女王エリザベス2世の所蔵楽器であった。]
清水高師
Takashi Shimizu
ヴァイオリン
6歳で徳永茂氏、9歳で鷲見三郎氏に師事。10歳でN響と共演。17歳でヤッシャ・ハイフェッツに師事。ハイフェッツの助言によりジャック・ティボーの愛弟子ミシェル・オークレールに師事しロシアとフランスの運弓法を学ぶ。フランスで開かれた世界の国際コンクール優勝者を集めたコンクールにおいて最優秀グランプリを受賞。オークレールの助言でティボーの愛弟子イフラ・ニーマンに師事し室内楽を14年間学ぶ。その間ニーマンよりユーディ・メニューインとナタン・ミルシュタインを紹介され師事する。
メニューイン指揮ロイヤルフィルハーモニー管弦楽団との共演でロンドンデビューを果たす。演奏会は成功し多くのオーケストラからの招待をうけるが娘が胎児の段階で障害者であると3つの大学病院で診断された。その為、所属するマネージメントと音楽院に辞表を提出。今後の演奏活動をすべてキャンセルして演奏家としての活動に終止符を打った。日本に帰国し東京藝術大学で後進の指導をする中、ハイフェッツのアシスタント クレア・ホチキンスの説得を何度も受ける。幸い経過観察の後、娘は正常であると判明、この結果により演奏活動を再開することとなる。
これまでにイギリスを中心にロンドンフィル、ロイヤル・フィル、BBCフィル、ボーンマス・シンフォニー、バーミンガム市響、ロンドンモーツァルト・プレーヤーズ、ハレ管弦楽団、スコティッシュ チェンバー、アルスター管弦楽団、また、ドイツのハーグ レジデンティ・フィル、シュトゥットガルト・フィル他、オーストリア、スペイン、イタリアのオーケストラと共演。東ヨーロッパではロシアの国立ロシア交響楽団他、ルーマニアの国立ジョルジュ・エネスコ・フィル他、ブルガリアの国立ソフィア・フィル他、またポーランド、ウクライナ、トルコ、モルドヴァ、モンテネグロで共演。アジアでは韓国、シンガポール、中国で共演。
昨年はポーランドとオーストリアの音楽祭に招待される。
今シーズンはオーストリア、ルーマニア、ポーランド、オランダの音楽祭に参加する。教育関係では桐朋学園大学、東邦音楽大学の他、シンガポール、韓国、オーストリアで指導予定。また5つの国際コンクール審査を依頼されている。
これまでに海外15ヵ国で指導を行い、18ヵ国の国際コンクール審査員を務める。
チェン・ジュウ
Quain Zhou
ヴァイオリン
中国杭州市出身。上海音楽院で早期教育を受け、1981年に中国で最も難関な中国国際コンクールで優勝。翌年にはアメリカに招待されピーポディ音楽院において全額給費生として名教授バール・セノフスキーに師事。すぐに頭角を現し18歳でロンティボー国際コンクールで優勝。中国人で初めて著名な国際ヴァイオリンコンクール優勝者となっただけでなくロンティボー国際コンクール50年の歴史でも初めての中国人優勝者となった。これまでに北京中央フィルハーモニー管弦楽団、BBC交普楽団、BBCスコティッシュ交響楽団、ボーンマス交響楽団、香港フィルハーモニー管弦楽団、フランス国立放送フィルハーモニー管弦楽団、イル・ド・フランス国立管弦楽団、新日本フィルハーモニー交響楽団、大阪交響楽団、ローマ交響楽団、ロシア・フィルハーモニー管弦楽団、シンガポール交響楽団、上海交響楽団、スペイン国立管弦楽団、台北市立交響楽団、ウィーン室内管弦楽団等と共演し、アムステルダムコンセルトヘボー、カーネギ・ホール、サントリーホール、ウィーンコンサートホールなどで演奏している。エヴィアン音楽祭でのロストロヴォーヴィチとの共演は名演としてレ・ドーフィネ・リベレ誌によって「彼女は語源的な意味で美と幸福を創造する詩人」と評された。現在、 Ran Kei Mei財団より1757年製のJ.B. Guadagniniを貸与されている。
ヴィルモス・ザバティ
Vilmos Szabadi
ヴァイオリン
ハンガリー出身、リスト音楽院でフランツ・ハラースに師事、25歳で同院史上最年少の講師として起用される。他にシャンドール・ヴェーグ、ルッジェーロ・リッチ、ロラーン・フェニベシュにも師事。ハンガリーラジオコンクール第1位、フバイコンクール第1位、シベリウス国際ヴァイオリンコンクール第3位。ハンガリー政府よりリスト賞、バルトーク賞受賞。1988年にはゲオルグ・ショルティによりロンドンに招かれ、バルトークのヴァイオリン協奏曲第2番を演奏。1996年よりHUNGAROTON の専属アーティストとなり、これまでに56枚のCD、CDVをリリース。フランス・カンヌで行なわれている『MIDEM』(国際音楽産業見本市)において、世界中から寄せられた1000枚を越えるCDの中からドホナーニのヴァイオリン協奏曲とバルトークのヴァイオリン・ソナタが入賞。現在、リスト音楽院ヴァイオリン科主任教授として後進の指導にあたり、ハノーファー国際、バルトーク国際、シンガポール国際ほか、著名な国際コンクールで審査員を務める。自国ハンガリーの他に、オーストリア、フィンランド、日本、シンガポールを初め欧米十数か国以上でコンサートやマスターコースを精力的に行っている。愛器は1777年イタリア製クレモナ・ラウレンティウス・ストリオーニ。
ディーマ・トカチェンコ
Dima Tkachenko
ヴァイオリン
キエフ(ウクライナ)生まれ。1995年ボゴダール・コトロヴィチとヤロスラヴァ・リブニャクに師事の下、ウクライナ国立音楽院(旧キエフ・コンセルヴァトワール)を卒業。98年ロンドン・ギルドホール音楽院の招待を受けイフラ・ニーマン氏に師事、翌年リサイタル・コンサートディプロマを首席で取得。2002年から08年までの期間、同音楽院の特別フェロウ(研究員兼教授)としてクシシトフ・スメイタナ、デイヴィッド・タケノと共に活動、後進の指導にあたる。カール・ニールセン国際音楽コンクール(オデンセ、2000)、ルイセンコ・コンクール(キエフ、1997)、ウロニスキ・ソロ・ヴァイオリン・コンクール(ワルシャワ、1997)等において数多くの国際的な賞を受賞。
ソリスト及びリサイタリストとしてヨーロッパ、アジア諸国、北米、南米など幅広く演奏活動を行う。これまでに、ロンドンのウィグモアホール、バービカンセンター、サウスバンクセンター、アムステルダムのコンセルトヘボウ、コローニュ・フィルハーモニー、モスクワ音楽院グレートホール、ブダペストのリスト・アカデミーホール、ベルリン・コンツエルトハウス、パラウ・デ・ムジカ・バルセロナ、マドリッドのオーディトリオ・ナチオナル・デ・ムジカ等、世界の主要なコンサート会場で演奏、その演奏は英国BBCをはじめ各国で放送、放映されている。
協奏曲のソリストとしては、ロイヤル・フィル(ロンドン)、モスクワ放送響、ウクライナ国立響、MA響(ブダペスト)、ポーランド国立クラコウ・フィル、チリ響を含む数多くのオーケストラと共演。2017年にはシベリウス、及びブラームスのヴァイオリン協奏曲を携え、ウクライナ国立響とのアメリカ全土20公演を超える大規模なツアーが予定されている。
ヴィヴァルディの「四季」からシェーンベルクに至る殆ど全ての主要なヴァイオリン協奏曲の他、主なヴァイオリンとピアノのためのソナタ、パガニーニの24のカプリス全曲、バッハのソナタ、パルティータ全曲をはじめとするソロ・ヴァイオリン・サイクル、その他の小曲を加えた幅広いレパートリーを持っている。
現在ウクライナ国立音楽院教授、世界各国でマスタークラスを行う。多数の国際コンクールの審査員を務める他、ベンジャミン・ブリテン国際音楽コンクール(ロンドン)、ウクライナ・キエフ・フェスティバルの創設者・芸術監督でもある。
マリオ・ホッセン
Mario Hossen
ヴァイオリン
アンドレイ・ビエロフ
Andrey Bielov
ヴァイオリン
アンドレイ・ビエロフは、1981年ウクライナで生まれた。
彼は音楽一家の中で育ち、5歳でヴァイオリンを始める。
11歳でキエフのミハエル・クズニゾフに家族の一員として迎えられ、ヴァイオリンの指導を受ける。
子供時代からウクライナ、ロシア、ポーランド、アメリカ合衆国、ドイツで演奏活動を行なう。
クロスター国際コンクールに優勝後、ウクライナ文化援助団体より給費を貰い、
クリントン大統領の前で演奏を行う。
15歳より、クリシュトフ・ウェグジンにハノーバー音楽大学で指導を受け、ロンティボー国際コンクール、
ハノーバー国際コンクールを含む5つの国際コンクールに上位入賞している。
ウラディミール・メンデルスゾーン
Vladimir Mendelssohn
ヴィオラ
マリア・ヴィニアスキー
Maria Winiarsk
ヴィオラ
Maria Winiarskiは、ベルリンを拠点とするビオラ奏者です。 彼女は1988年に生まれ、ストックホルムとモスクワで育ちました。 彼女は、世界をリードするミュージシャンやアンサンブルとともに、ヨーロッパ各地で幅広く演奏しています。 彼女はストックホルムの王立音楽大学、オスロのノルウェー音楽アカデミー、そしてライプツィヒの音楽学校「フェリックス・メンデルスゾーン」でヴァイオリンとヴィオラを学びました。 彼女はストックホルムのエツベリ城室内楽研究所で修士号を取得しました。 彼女は、スウェーデン王立音楽アカデミー、サンドリュー財団、ジェムゼウス財団など、いくつかの賞や奨学金の受賞者です。
彼女はストックホルムフィルハーモニー管弦楽団、ノルウェーオペラオーケストラ、スウェーデン放送交響楽団、スウェーデン王立オーケストラ、カメラータノルディカ、ソリステンアンサンブルカレイドスコップなどのオーケストラと協力してきました。
マリアは、スウェーデンの非営利団体Musethicaのスウェーデン支部の創設者兼ディレクターです。
アヴリ・レヴィタン
Avri Levitan
ヴィオラ
1973年イスラエル、テルアビブ生まれ。
ルービン・テルアビブ大学にてハイム・タウプ氏に師事、その後パリのコンセルヴァトワールにてピンカス・ズーカーマンに師事する。
1994年シュレスヴィヒ・ホルシュタイン音楽祭のイスラエル・シンフォニー・オーケストラでソリストとしてデビュー。
その後ソリスト並びに室内楽奏者として世界各地で演奏活動を行なう。
現在は、イスラエル・ラジオ、イスラエル・テレビ、スウェーデン・ラジオ、スウェーデン・テレビ、ニッポン放送「新日鐵コンサート」などに出演し各地でコンサートを行う傍ら、飛騨高山音楽祭の講師や大阪国際コンクールの審査員も務めている。
アレクサンダー・ルーディン
Alexander Rudin
チェロ/指揮
昨年開催された第12回チャイコフスキー国際コンクールのチェロ部門審査員長を務めた。
ロシア国家英雄賞を受賞、現在シベリウス・ミュージック・アカデミー(ヘルシンキ)とモスクワ音楽院で教授を務める。
1988年以来『ムジカ・ヴィヴァ』、『アルペジオーネ』両室内楽団の芸術監督・首席指揮者に就任、定期公演を行う。『コンツェルティーノ・プラハ』国際コンクールでグランプリ受賞、バッハ国際(1976)、カサド国際チェロ(1979)、チャイコフスキー国際(3位1978・2位1982)各コンクールで受賞。指揮者としてウィーン、ロンドン・フィル他主要交響楽団に客演。
クフモ、12月の夜音楽祭等に毎年出演。グネーシン音楽学校でチェロ、ピアノ両科修了後、モスクワ音楽院指揮科修了。指揮者、チェロ奏者として活動する。
彼が音楽監督並びに指揮者として関わっているモスクワにあるムジカ・ヴィヴァ
チェンバー・オーケストラは、ロシアで最も優れた室内オーケストラとして活躍している。
現在ロシアで最も偉大な演奏家として扱われており、その卓越した才能と、
円熟した技巧は他に類を見ない存在である。
アントン・ニクレスク
Anton Niculescu
チェロ
アントン・二クレスクはブカレストで音楽一家として生まれた。わずか12歳でデビューを果たした 2年後,14歳でヤシハーモニー管弦楽団とラロの協奏曲を演奏した。数々の賞を受賞し,フィレンツェ歌劇場やカターニアのベッリーニ歌劇場,ミラノスカラ座など,ヨーロッパで最も権威のある音楽ホールに招かれた。1997年からボローニャのフィルハーモニックアカデミーに所属。また彼は,ルーマニアの才能ある若い音楽家のためのエウテルベー財団の創立者の1人でもある。
イ・ヨン チル
Young Chill Lee
指揮
イ・ヨンチルはソウルに生まれアメリカで学び、ニューヨーク州立大学で博士号を得る。
彼は考えられない技術的な容易さと気品を持って指揮をする。彼の最近の共演は、イギリスのロンドン シンフォニー、ロイヤル フィルハーモニー、イタリアでローマ シンフォニー、ロシアのモスクワ フィルハーモニー、モスクワ国立ラジオ、ウクライナのキエフ シンフォニー、ブルガリアでソフィア フィルハーモニー、ルーマニアでジョルジュ エネスコ フィルハーモニー、ブラショフ シンフォニー、チェコでプラハ シンフォニー、ヤナーチェク、ハンガリーでブタペストMAV シンフォニー,日本でNHK交響楽団等の主要なオーケストラである。彼のレパートリーは広く 年に50回以上の公演を行なっている。イ・ヨンチルの最近の共演は、イギリスのロンドン シンフォニー、ロイヤル フィルハーモニー、イタリアでローマ シンフォニー、ロシアのモスクワ フィルハーモニー、モスクワ国立ラジオ、ウクライナのキエフ シンフォニー、オデッサ、ドネック、ヤルタ、ハルコフ、ブルガリアでソフィア フィルハーモニー、プロディフ シンフォニー、ルーマニアでジョルジュ エネスコ フィルハーモニー、ブラショフ シンフォニー、チェコでプラハ シンフォニー、ヤナーチェク、ハンガリーでブタペストMAVシンフォニー,チリでサンティアゴ フィルハーモニー、日本でNHK交響楽団、それにベラルーシ、トルコ、ギリシャ、サラエボの主要なオーケストラである。イ・ヨンチルは 音楽を刺激的で冒険的に創りあげる才能がある。彼の暖かさと非常に凝縮された熱意を経験したものは 音楽をより深くまたより高い感情を音楽の中に見だす事になる。彼は考えられない技術的な容易さと気品を持って指揮する。彼の音楽的内容と魂はオーケストラにインスピレーションを与え、素晴らしい成果をあげるのだ。イ・ヨンチルは アジア人の中では最も忙しい指揮者として世界中にその名前を知らしめ始めているが、東洋と西洋が融合された稀なスタイルがそこには在る。
菅野宏一朗
Koichiro Kanno
指揮
桐朋学園大学、ウィーン国立音楽大学に学ぶ。
ルーマニア、ブラショフ・フィルハーモニー交響楽団のトロンボーン奏者を経て、ブラショフ歌劇場指揮者に就任。
2002年、トランシルヴァーア交響楽団の日本公演を指揮、好評を博す。
2003年、2005年ブザンソン指揮者コンクール・ファイナリスト。2007年バルトーク国際オペラ指揮者コンクール第3位入賞。
現在、オーストリア、ドイツ、イタリア、フランス、ブラジル等、ヨーロッパを中心とする各国で演奏活動を続けている。
ニュージャパンシンフォニカ
New Japan Symphonica
チェンバーオーケストラ
ニュージャパンシンフォニカ経歴
国際、国内のコンクール優勝及び
入賞者を中心に結成された室内弦楽合奏団。ニュージャパン シンフォニカが持つ高い「テクニック」と、すばらしい「響き」は、日本には類を見ないグループである。
レパートリーは、クラシックを中心に様々な曲をアレンジし、より多くの聴衆にクラシック音楽を楽しんでもらう事がコンセプトである。毎年2回国内の音楽祭に参加し経験を積んでいる。またポルトガル、ハンガリー、オーストリア、ドイツで開催されている現地の音楽祭に招聘されている。これまでに朝日放送、日本放送のTVやラジオに出演、新日鉄コンサートや日経ホールコンサートにも出演した。